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2016年10月 4日 (火)

『PC自作記』

 PC自作初心者向け参考書を発見、面白そうなので購入した。値段が新書価格の700円台、内容が期待通りでなくとも損した気分にはならない。自作を始めて20年、それこそなにを今更だが、自作用参考書を読むのは今回が初めて。
(2012.6.15)

 MS-DOSの時代には、高機能なワープロ・ソフトを使用したことは一度もなかった。それが、却ってPC自作を始めるようになってから幸いした。CUI環境で最初に使用したアプリケーション・ソフトは、なんとスペリングチェック・ツール「ターボ・ライトニング」だった。同ソフトは、Cコンパイラ「Turbo C」で有名だったボーランド社の製品で、英米圏のユーザはもちろん、英語を母国語としない学習者にとっても必須のツールだった。しかし、気紛れユーザである小生にとって、「ターボ・ライトニング」は、単なる遊び道具でしかなかった。今だからいえるが、バカなことをしたものだ。
(2012.6.18)

 C言語の標準化に多大な貢献をしたP.J.プローガ氏がかつて、自著(著書名失念)の中でスペリング・チェックの必要性を強調していた。原子力工学あるいは原子物理学の博士号を持つプローガ氏がスペリングを間違える……その率直な告白には誠実性が滲んでいた。
(2012.6.18)

 24年前、ラップトップPCが出て間もない頃、T社の「J3100 021」を買った。CPUにクロック周波数8MHzのインテル80C86、それに640KBのメモリ、20MBのHDDを搭載し、47万8千円の価格は、当時としては安価な方だった。J3100はIBM互換機として登場し、日本語非対応とはいえ、膨大なソフトウエアを利用可能だった。だが、IBM互換機の世界には、当時、まだWindowsは登場しておらず、画面はCUIのままだった。PCと同時に、日本語MS-DOSおよび英語MS-DOSを購入、HDDを2分割してそれぞれのOSをインストールした。
(2012.6.18)

 IBM互換機は、当時としては購入しやすい価格だった。だが、ソフトウエアはおいそれとは買えなかった。なにしろ、OSだけに7万円(35,000x2)を費やし、8万円近いワープロ・ソフトを購入するだけの経済的余裕はなかった。しばらくは、日英のOS間を往来するだけだった。文書作成等は、OSに付属するエディタ「EDLIN」を利用し、「ペイント・ブラシ」(現在の「ペイント」)で絵を描いたり、罫線のやたら多い社内用提案書を作成していた。「EDLIN」は扱いにくいエディタだったが、「ペイント・ブラシ」は使いやすかった。英語OSの方には分厚いマニュアルが付いてきた。
(2012.6.18)

 ラップトップPC「J3100」を使用して2年後、亀島産業の「EJ Bank」(MS-DOS上で動く翻訳支援ソフトウエア)を入手した。頭初、「ターボ・ライトニング」と同様、面白半分に使用していた。1年後「EJ Bank」がバージョンアップしたのに伴い、メモリの増設が必要になった。基本メモリ640KBでは満足に動かず、増設をすることにしたのだが、思いのほか面倒なのを知る羽目になった。
 別メーカーから出ている増設キット(¥70,000)を、「J3100」の筐体内に組み込むのだ。その段階で、「ものぐさ」が頭を擡げ、計画をアッサリ投げ出してしまった。メモリを増設せずに旧バージョンのまま、「EJ Bank」を使い続けるのは無理だった。結局、「ものぐさ」かつ「気紛れ」が災いし、10万円近い翻訳支援ソフトウエア「EJ Bank」をアッサリ廃棄してしまった。
 その愚かな行為の報いで、いまだに語学力は中学生レヴェルに留まっている。精悍な面構えの「J3100」は、モバイル PCに比較したら、重すぎて持ち歩くには不向きだった。しかし、デスクトップPCとしてなら、現在人気の高いノートPCよりも、ラップトップ・マシンとしての「J3100」の方が適していたのではないかと想う。
(2012.6.19)

 「J3100」を、途中でメーカーにパネル交換に出すなどしながら使用し続け、4年近くが経過した頃、輸入PCを扱うインテリジェント・ウエーヴ社(頭初は青山に在り、その後、新木場に移転した)からパンフレットが届いた。同社の扱う製品は、価格が高すぎず適正だった。あまり深く考えもせず、50万円台のPCを早速注文した。床上に設置するのに最適なドイツ製のフル・タワー型筐体に、インテルの33MHzCPU、なにやら怪しげなヴェンダーのメモリ、それに加え、当時から珍しかったローカルバス採用のグラフィックス・アクセラレータ・カード(IBM流の名称。現在のグラフィックスボード)「Genoa 8500」を搭載していた。
 頭初、グラフィックスボードは「Fahrenheit 128」の予定だったが、インテリジェント・ウエーヴ社、あるいは輸入元の米マイクロ・レーン社の都合で間に合わず、「Genoa 8500」に落ち着いた。現在はまったく見かけなくなった、ローカルバス方式のグラフィックスボードながら、「Windows 3.1」で威力を発揮した(と想う)。ローカルバスなる方式は当時、かなり話題になっていたのを憶えている。しかし、ATバスのソケットに装着し、データをCPUと直接やり取りするのには危険があった。PCを起動する度に、筐体から何かが焦げるような匂いがしてきたものだ。
(2012.6.19)

 購入したフル・タワー型筐体は、今では見かけなくなったが、CPUのクロック周波数を表示するようになっていた。PCを起動した直後、33MHzと表示したのを初めて目にした時には、新鮮な驚きを味わったものだ。しかし、表示方式がジャンパーピンを差す位置で決まり、33MHz超のCPUに換装するのは大変だった。ある日、筐体の蓋を開けて中を覗き、グラフィックスボードの基板に焼け焦げの跡を発見、うすうす感づいてはいたものの少なからず驚いた。データ転送が高速過ぎ、回路が過熱していたのだ。危険だったが、今更どうすることもできず、そのまま使い続けた。ラップトップPCのメモリ増設の困難なこともあり、「J3100」から本格的な自作に向うまで、さほど時間はかからなかった。
(2012.6.19)

 購入したフル・タワー型PCは、床に直接置いていたので、CRT型モニターを机上に置いてもスペースに余裕があった。しかし、冬が近づいた寒い日曜日、PCの電源スイッチを押したが起動せず、購入先に送って原因を調べて貰うことにした。翌日、先方から問題なく起動するとの電話がきた。原因不明のまま送り返してもらい、週末になって起動を試みたところ、アッサリ起動したので原因に気づいた。寒い日だったので、早くから部屋を温めていたのが幸いした。原因は、電源に搭載した蓄電器にあった。電源を外して中を覗いてみたら外国製だった。
 熱帯地方で造った電源なら、寒い国では動かないのが道理かもしれない……そんなことはあり得ないのだが。寒さに弱い蓄電器(コンデンサ/キャパシタ)があるなんて、その時になって初めて知った。寒冷地に弱い電源を搭載したPCの、電源部分を石油ストーヴで予め温めて使用する日が続き、とうとう一冬越してしまった。
(2012.6.20)

 フル・タワー型PCを使い始めて数年が過ぎ、それまで噂のあった、ATからATXへのバス規格変更が現実になった。当時、地方に住んでいたので、休日に慌てて東京行きの特急電車に乗った。秋葉原に出かけ、AT規格対応の電源を求めて街中をあちこち彷徨いた。何処へ行っても在庫なしに、途方に暮れ、諦めて駅に向かった。駅前で、見落としていたPCショップを一軒見つけ、若干の期待を抱きながら店内に入って行った。何処にあるやら分からず、店員氏に訊くことにした。ダンボール箱を手にして戻ってきた店員氏のいう、最後の一台なるAT規格の電源に2万円を支払った。しばらくは、AT規格のままでPCを使い続けることにし、電車に乗って帰途についた。それにしても、大きめの電源が果たしてスンナリ組み込めるだろうか、これまでにない未知の経験だけに、少しばかり心配だった。
(2012.6.20)

 PC自作をする場合、筐体選びが最重要だ。中途半端な筐体を選んだりすると、後々後悔することになる。筐体の大きさは、これまでの経験から中型タワータイプがいちばん種類が多く、吟味して買うには最適だ。よく、選択肢が多すぎて迷ってしまうというが、予め予算を決めておいて探すようにするなら、PCの筐体に限ってそんな懸念はないだろう。自作未経験では選択に迷うかもしれないが、高ければよいとは限らず、使い易いかどうかが重要だ。タワー型筐体にマザーボードを組み込む場合には、筐体を机上に倒した状態で置くと作業しやすい。初めの頃はそれに気づかず、垂直の状態で組み込んでいた。垂直だと、内部の見透しが極めて悪く、懐中電灯で照らす必要がある。気づくまで、時間の無駄使いをした。
(2012.6.22)

 PC自作で最も注意を要するのは、筐体にマザーボードを組み込む場合だ。あらかじめ、スペーサーの取り付け箇所、言い換えるなら筐体側とマザーボード側とのスペーサー用ネジ穴の間隔、それの一致する箇所を見つけなくてはならない。各メーカーの製品に対応させるのが目的で、スペーサーの取り付け位置が汎用になっているからだ。筐体側のスペーサー用ネジ穴と 、マザーボード側のスペーサーを固定するネジ穴との間隔が一致する箇所を探し出すには、マザーボードを筐体のスペーサー用ネジ穴にあてがい、適応個所を見つけ出す必要がある。その場合、マザーボードが筐体の壁面に触れないよう気を付けなければならない。さもないと、ショートさせてしまうので注意を要する。
(2012.7.1)

 台湾のマザーボード・メーカーは、当然、PCの筐体内がどの程度の温度になるかを把握している。温度管理を独自のプログラムで行えるよう、ユーザが設定できるのがその証拠だ。通常は筐体の前後、側面に冷却ファンを取り付け、ボードから電力を供給して、筐体内が一定の温度以上に上昇したら、ファンが稼働するようにする。PCの筐体内を、空冷で冷却するのが普通だが、ヘヴィ・ユーザはそれでは飽き足らず、水冷で冷却する。電動ポンプで、フレキシブルなパイプ中に、冷却水を送り込み、循環させる。冷却効果は、まだ試したことはないので断言できないが空冷より遥かに効果はあるにちがいない。
(2012.7.10)

 IDEタイプのHDDは価格が手頃だったが、ドライヴ毎にジャンパーでマスター、スレイヴの設定をしなければならず、面倒だった。SATAが登場する以前は、IDEタイプのソケット2基(プライマリー、セカンダリー) を装備しているマザーボードが多く、周辺機器(HDD、CD-ROMドライヴ等の光学ドライヴ)を4台まで接続できるのが主流だった。自作して間もなく、プライマリーにHDDを2台(マスター、スレイヴ)を接続、セカンダリーのマスターにCD-ROMドライヴ、スレイヴにHDDを接続し、プライマリーのHDDの1/3(先頭領域)にWindows3.1を、次の1/3(中間領域)にOS/2を、残りの1/3(最後部領域)にFreeBSDをインストール、さらに、プライマリーおよびセカンダリーのスレイヴをFreeBSD用として使用し始めた。
 OSの切り替えは、起動直後にFreeBSDのマスターブート・レコードの画面が出るようにし、その画面から選択できるようにした。10年以上そのような状態で使っていて、ある日、ドライヴや冷却ファンの回転音が騒々しいのに気づいた。だが、他にも問題が持ち上がった。以前からあったことだが、内蔵のHDDが壊れる度に筐体の蓋を開け、交換しなけらばならなかったのだ。もっと簡単な方法はないものか。ある日、PCショップの店内をぶらついていたら、メーカー数社から出ているモバイル・ラックなる製品が目についた。5インチベイに組み込み、HDDを前面から着脱できる便利な製品だった。
 モバイル・ラックは、リムーバブルケース+トレイの構成になっている。メーカーによって、トレイを使用しない製品もある。HDDを剥き出しのままで着脱する方式のようだ。しかし、扱い方を間違えると、HDDを壊す可能性もあり、トレイ方式の方が安全といえる。トレイに組み込むのは面倒だが、その分、安心できるから此方の方が好い。先ず、リムーバブルケースを筐体の5インチベイにネジで固定し、IDEもしくはSATAソケットとHDDのソケットとをケーブルで接続する。次に、HDDをトレイに組み込み、トレイに付属するケーブルを接続して、これもネジで固定する。トレイに組み込んだHDDを、リムーバブルケースに装着し、付属するキーでロックする。こうしないと、HDDに接続したケーブルに通電しない。必要に応じ、それぞれにOSをインストールしたHDDをガチャポンと入れ替えると、1ドライヴ1OSになって余分なドライヴを動かす必要がなく、節電になるばかりか騒音防止にもなる。モバイル・ラックを導入してから、かなり、ドライヴの回転音が静かになった。
(2012.7.21)

 PCの自作に嵌まってから10数年が過ぎ、その間、周辺機器(HDDや光学ドライヴ)のインタフェースは、IDE(パラレルATA)からSATA(シリアルATA)に変わった。まだIDEが登場していなかった時代、高価な SCSI(パラレル・インタフェース)を個人で使うのが当たり前(気の毒にもSCSIしか選択肢がなかった)の時代があった。その時代、PC自作者自身が「コンピュータ貧乏」などと自嘲ぎみに語ったり、PC関連誌に揶揄するような文章が載ったりした。
 幸いにして、小生がPC自作を始めた時代にはIDEが出始め、手頃な価格でマシンをパワーアップできた。お陰で、PC98全盛時代に自作三昧に耽ることができ、退屈することがなかった。ディージーチェーン(数珠繋ぎ)が基本のSCSIは終端にターミネーターを設置しさえすれば最多8台までは周辺機器を接続できた。しかし、SATAがSCSIやIDEに取って代わり主流になった。
 現在、SCSIはサーバマシン等ハイエンド・マシンで広く使用されているとはいうものの、低価格化が困難なために個人での使用に適さず、PC自作を道楽としているユーザは別だが、今となっては時代遅れのインタフェースといわざるを得ない。なぜなら、転送速度ではSATAの方が上回っており、さらに高速なSSDが登場してきているからだ。例えば、速い筈の「Ultra2 WIDE SCSI」で80MB/sなのに対し、現在主流のSATAⅡで300MB/s、ボツボツ出始めたSATAⅢで600MB/sだから、SCSIはハイエンド・マシンの世界にしか気の毒だが居場所はない。
(2012.7.21)

 UNIX/Unixの場合は、HDD(ハードディスク・ドライヴ)を初期化し、OSをインストールしたら、Windowsのようにドライヴ名(「C:」、「D:」etc.)を指定することなく、「dir」(ディレクトリ)を意味する半角スラッシュ(「/」)に続けて、ファイル名「orega」(個人的なデータを保存する領域の名称。ユニークな名称がよい)等と入力する。この「orega」は、通常OSインストール時に自動生成する「/home」(他に、「/root」や「/usr」等を自動生成する)の下に、作成しておくのが無難だ。その場合には、「/home/orega」となる。UNIX/Unixでは、ドライヴ名さえもファイルになる。
(2012.7.23)

 PC自作を始めた17、8年前、「Slackware」(「Linux」ディストリビューションの一種類)を入手し、使用したことがある。なぜか、CD-ROMドライヴを認識せず、やむを得ず、FD(フロッピー・ディスク)をインストール・ディスクとして使用、枚数にして90枚を超えた……それで全てではなかったが諦め、FDに作成した分をHD(ハード・ディスク)にインストールした。今にして想えば、インストール・プログラムにバグがあったのかも知れない。「PC Unix」用の参考書は少なく、ディストリビューション・パッケージに付属する説明書が頼りだった。当時、地方に住んでいたために、UNIX/Unix系参考書の入手は容易ではなかった。
(2012.7.23)

 電車を乗り継いで秋葉原に行き、PCショップで1、596ページもある洋書『Linuxバイブル』を入手した。表紙がダークグリーンの、ソフトカヴァー本だった。内容を碌すっぽ理解することなく、本棚に飾っておいた。それだけで、「UNIX/Unix OS」のエクスパートになった積りでいたのだからお目出度い。UNIX OSやUnix系OS(PC Unix)の世界は、ユグドラシル(Yggdrasill=世界樹)に似ている。Windowsの「administator」(admin)は、UNIX/Unixでは「root」 になる。樹木を逆さまにして根(root)を頂点に据え、枝分かれして行くイメージをファイルシステム化したのだろうと想う。『Linuxバイブル』の何ページ目かに、「Yggdrasill」について説明があったと想うが辞典と首っ引きで読み込んだこともなく、積読状態だったのでまったく想い出せない。
(2012.7.23)

 マイクロソフトがまだMS-DOSしか、PC市場に投入していなかった時代、 TRON(国産OS)は先進技術を満載して登場した。しかし日米貿易摩擦の煽りを喰らい、TRONは話題だけ残して姿を消した(電気製品等への、組み込みOSとしては健在だが)。
(2012.8.13)

 Macユーザにとって、スティーヴ・ジョブズはカリスマティックな存在らしい。しかし、Appleの創業者は、スティーヴ・ウオズニアックであって、ジョブズは協力者に過ぎなかった。経営の才覚ではジョブズが優り、 Appleの躍進に貢献したのは確かだが。
(2012.8.18)

 Appleを創始したスティーヴ・ウオズニアックは、ヒューレット・パッカード(hp)のエンジニア時代、上司に個人が使えるパーソナル・コンピュータ(PC)を造ってはと提案した。それに応えた上司、「わが社にはその予定はない」……だったという。ウオズは同社を辞め、ガレージで造ったPCキットを売り出し、大成功をおさめた。
(2012.8.20)

 かつて、コンパックが経営危機に陥った際、創業者に退陣して貰い、同社のヨーロッパ支社(名称は違っているかも知れない)から敏腕のドイツ人を招聘、立て直しを図った。それまで、PC界のポルシェといわれていた高額な同社のPCを、思い切って半額に下げ、危機を乗り越えた。
(2012.8.22)

 東京に住むようになって10年以上、今日のような強風が吹いたのは、初めてだった。21時過ぎ、PCを起動したらインターネットに繋がらなかった。Wi-Max用アンテナが強風で破損してしまったらしい。画面に、「圏外 Wi-Maxが見つかりません」と出たまま停まっていた。
(2012.9.21)

 パーソナル・コンピュータを普及させたのが、二人のスティーヴなら、オープンソースOSを普及させたのはリーナス・トーヴァルズだった。次いでながら、Googleが開発したAndroid OSはubuntu(Linux系ディストリビューションDebianから派生したOS)をベースに している。
(2012.10.8)

 コマンド・ラインでのコマンド入力に、面白味を抱いた小生としては、GUIには興味が湧かなかった。高価なMacにもWinにも、それほどの魅力を感じなかったので、Win3からOS/2さらに Linux系のSLACKWARE、openSUSE、DebianやBSD系のFreeBSD等に乗り換えて行った。しかし、またWinに戻ってしまった。
(2012.10.8)

 10月5日、アップル創業者の一人、スティーヴ・ジョブズが死去した(合掌)。これで創業者の中の1人が、アップルからいなくなった(ウオズニアックは現在、大株主でありながら一社員としてアップルに在籍しているとか)。ヒューレット・パッカードを辞めたスティーヴ・ウオズニアックは、ガレージでPCキットを造り始めた。そこに、ジョブズが加わり、アップル誕生のきっかけを築いた。
(2012.10.8)

 故Steve Jobsの伝記を著わしたW.アイザックソンが23日、米CBSテレビのインタヴューでJobsが生前、「死んだら、消えてなくなるわけではないからね」と語っていたことを明らかにした。若い頃の同氏はインドに行ったことがあり、インドから学ぶことがあったのではないだろうか。
(2012.10.26)

 AMDの8コアCPU「FX8150」は、簡易水冷クーラーを同梱している。CPUの発する熱が半端ではないらしい。そうなると、簡易水冷クーラーで間に合うのか、逆に不安になる。世の自作マニア/オタク等はどう評価しているのだろうか。現在、4コアCPU 「Phenom Ⅱ」を使用、さしたる不満もないが、8コアときては自作熱は上昇する一方だ。
(2012.11.16)

 タイの大洪水の影響で、HDDの価格が、500GBで7千円台、1TBで1万1千円台に上昇し、中には「時価」と表示しているPCショップも出てきているとか。今回、洪水が発生しなければ、タイでHDDを生産してるのを知る人はいなかったはずだ。価格上昇は、自作マニアにとって有り難くはない。
(2012.11.23)

 昨日はイスラエルのイラン爆撃、続いて今日はAMDの敗北宣言(?)……この2日間は驚きの連続だった。インテル独占ではPC界から活気が失せ、たとえCPUの性能が上がろうが、面白味ゼロになってしまう。出来合いのハードウエア、ソフトウエアで満足しているユーザは兎も角、自作ユーザにとっては詰まらなくなるだけだ。
(2012.12.1)

 工人舎の小型ネット・ノートは、クロック周波数400MHz(Geode CPUを搭載)をわずかに超える非力なマシンだが、「Windows Vista」がさくさく動く優れものだった。最近、書棚に飾っておいた当該機に32ビット「PC Unix」数種のインストールを試み、見事にことごとく失敗した。最後に、「FreeDOS」のインストールを試し、首尾よく成功した。一時は分解してCPUを記念として取って置き、本体を廃棄しようかとも考えたが、これでGeodeマシンが復活することになり、我が家に楽しみがまた一つ増えたことになる。まだ解決しなければならない問題はあるが、GUIに食傷気味の昨今、頭の体操にもなる格好なボケ防止になることだろう。次は、ユーティリティ・ソフトをどのようにインストールするか……難問が待ち構えている。
(2014.3.19)

 ADSLでWebに接続していた数年前、ダウンロードに十数時間かかる「PC Uunix」(4Gバイト内外の「isoイメージ」)をダウンロードしてインストールしていた。ADSLから無線(Wi-Max、Wi-Fi)に変えて以来、「PC Unix」には縁がなくなった(接続が非常に難しくなった)。最近、埃を被っていたノートPCに、ubuntuやFreeBSDをインストールし無線接続を試みたところ、アッサリ繋がった。しかし、自作マシンの場合には、そう簡単にゆかないのが分かった。失敗した結果、モバイル・ルータを「USBポート」ではなく、クレードル(モバイル・ルータ側)および自作マシンのイーサネット・ポートを、イーサネット・ケーブルで接続したら繋がるのではないかと気づいた。失敗しなければ気づかなかった……失敗は成功の元とはこの事か。
(2014.3.19)

 一週間というもの、自作PC(マニアはともかく、普通の自作PCユーザは昔のように半田ゴテを使う局面には出っ会さない。単に組み立てるだけ)に不具合が発生し、筐体を開けてはあれこれいじくり回していた……久し振りにPC Unixのインストールを思い立ち、何種類かのダウンロードした「isoイメージ」データを、DVDディスクに焼き付けてインストール・ディスクを作成した。ところが、いざインストールを開始すると、10分後に必ずハングアップしてしまう。手当たり次第に試してみたが、どのディストリビューションも同様な現象に陥る。ウインドウズではそのような不具合は、これまで一度も起こらなかったのだから、原因が見当つかず万歳の状態だった。古いマザーボードで試してみたら、なんの支障もなくインストールできてしまった。結局、グラフィックス・ボードが原因だと気づき(そこに辿り着くまでが大変だった)、付け替えたらそれまでの不具合が嘘のように、呆気なくインストールできてしまった。
(2014.3.26)

 自作デスクトップPCの不具合に、丸々一週間キリキリ舞いした。グラフィックス・ボードの故障になかなか気づかず/想像がおよばず、時間を浪費した挙げ句に、やっと原因を突き止めた。なにしろ、ウインドウズはなんの支障もなく動いていたのだから驚く。PC Unixのインストールを実行しなかったら、そのまま使い続けていただろう。グラフィックスボードを外して視たところ、冷却用のファンが外れかけていた。冷却が満足に効いていなかったようだ。フロッピー・ディスク用のケーブルを、装着する際にでも手が触れたのかも知れない。新品が最初から壊れていた筈はない。これで、一件落着となり、ストレスを溜め込まずに済んだ。付け替えたグラフィックスボードは以前に使用していいた、今となっては非力な製品だが、解像度は以前と変わらず維持できる。
(2014.3.26)

 日々酷使しているマザーボードはASUS TEKの「M5A990FX PRO R2.0」で、それ以前は「M3A78 PRO R2.0」だった。型番の末尾に「PRO 」とあるマザーボードは、各種ソケットへのコード接続が非常に簡単で自作し易い。細かい処に配慮の行き届いたマザーボードだ。
 「Phenom」(AMD)を搭載可能な、ASUS TEKのマザーボード「SABERTOOTH 990FX R2.0」は3万円近く、これまで使用してきた同社製品より倍の価格だが、自作は次で最後になりそうなので、この際、軍規格に適応した「SABERTOOTH」にしようかと計画している。
(2016.2.26)

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